2240、第八艦隊はサボ島南方水道に突入を始めた。2243、旗艦「鳥海」見張員が右舷側距離9000mに敵艦を発見、直ちに三川長官が「戦闘」を下令。この発見した敵艦は連合軍哨戒隊の駆逐艦「ブルー」であった。しかし、「ブルー」は島影による電波の乱反射により装備していた旧式のレーダーがまともに機能していないこともあって第八艦隊に気付かず、遠ざかっていった。直後に今度は左舷前方に敵艦が現れた。これは同じく哨戒隊の駆逐艦「ラルフ・タルボット」でこの艦も第八艦隊に気付かず遠ざかっていった。この2艦は第八艦隊突入前の2145頃、ガ島泊地へ向けて低空で飛び去る敵味方不明の水偵1機を目撃して全艦隊へ警報を発していたが、警報には航空機としか触れておらず、肝心の"艦載水偵"である旨が欠如していたため、連合軍はこれが日本艦隊来襲の前兆であることを見逃してしまった。 突入当時の天候は曇、東南東の風5メートル、視程10kmであったという。
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サボ島南方に到達した2331、三川長官により「全軍突撃せよ」が下令され全艦一斉に襲撃運動に入った。この下令直後、「鳥海」の見張員が左舷約15,000mに駆逐艦「ジャービス」を発見。4,500mまで接近した後「鳥海」は魚雷4本を発射したがこれは命中しなかった。この発射直後に今度は右舷方向に巡洋艦2隻を発見、水偵に命じて吊光弾による背景照明を行なわせた。そして先頭艦の豪重巡「キャンベラ」に向けて2347、距離3,700mで魚雷を4本発射。2本の命中を確認後主砲10門による射撃を開始し多数を命中させた。後続の重巡4隻も「キャンベラ」と米重巡「シカゴ」、これらに随伴していた米駆逐艦「パターソン」に向けて砲雷撃を開始していた。
一方で米軍は「パターソン」が接近する第八艦隊を発見、直ちに警報を全軍に送るとともに照明弾を打ち上げ主砲により応戦を開始したが、間もなく2発の20センチ砲弾が立て続けに艦橋、第4砲塔に命中。艦長が戦死し中破した「パターソン」は戦列を離脱していった。 「キャンベラ」は「パターソン」の警報により即座に「総員戦闘配置」が下令されたが、この配置が完了する前に「鳥海」が放った魚雷2本が命中。息つく暇もなく20センチ砲弾を雨霰と浴びせられ僅か2分間で2本の魚雷と24発の20センチ砲弾を浴びて航行不能に陥った。(翌日自沈処分) 「シカゴ」も警報と同時に対応を始めたが、態勢が整う前に左舷艦首に魚雷1本が命中。直径5mの大穴が空いて浸水が始まると続いて砲撃を浴びせられ、ろくな反撃も出来ずに大破してしまった。
随伴の米駆逐艦「バッグレイ」は敵発見と同時に左急回頭を行い戦闘配置についたが、日本軍からの砲撃はなく、また行なった砲雷撃は「夕張」に命中した一発の盲弾を除いて外れたため完全に戦闘の蚊帳の外であった。
こうして連合軍南方部隊は壊滅し、第八艦隊はツラギ港外に向かった。「パターソン」が第八艦隊を発見してから戦闘が終了するまでの間僅か6分、第八艦隊は「夕張」が一発被弾した以外全く被弾せず一方的な攻撃に終始した。ただ、駆逐艦「夕凪」が電源故障により自艦位置不明となり戦闘海域から離脱し、「天龍」の羅針儀が振動で故障して自艦針路不明となり、また「古鷹」が「キャンベラ」との衝突を避けるために変針し、これに従った「天龍」「夕張」と共に「鳥海」等とは別行動をとることになった。二手に分かれて北上した第八艦隊であったが、これが後に思いもかけない効果を生む。
「鳥海」は「キャンベラ」に対して雷撃を終えた直後、艦首左方向に全く別の敵部隊がいるのを発見。これに対して探照灯を照射して敵部隊の全貌を明らかにするとともに味方に対して注意を促し、突撃に移った。新たに現れたこの部隊は米重巡「ヴィンセンス」艦長リーフコール大佐率いる連合軍北方部隊であった。リーフコールはこの頃既に当直士官に艦橋を任せて仮眠に入っており、第八艦隊と南方部隊の戦闘の砲火を見た「ヴィンセンス」見張員の報告によって叩き起こされた。自分の眼でその砲火を確かめたが先述した統一指揮権の問題により南方部隊の状況が全く不明であったため、それを南方部隊によるガ島への艦砲射撃か、侵入してきた少数の日本駆逐艦と南方部隊の戦闘であろうと思い、状況の整理がついた時点で戦闘参加すべく準備を始めようとしていた。そこへ突然左舷後方から3本の探照灯により照射されたため、彼は味方が混乱して自艦隊を照射したのだろうと思い、信号手に直ちに後方の照射艦に対し「照射を止めよ、われ味方なり」と通報するように命じ、20ノットに増速して一旦態勢を立て直してから南方部隊の増援に赴こうとしていた。彼にとって誤算だったのは、後方から接近していたのは第八艦隊主力の重巡4隻だったことである。
2353、「鳥海」はまず一番近い北方部隊3番艦の米重巡「アストリア」に対し距離5000mで主砲を斉射、第5斉射で命中弾を得た。また、後続の各艦も次々と「アストリア」に対して砲撃を加え、完全に機先を制された「アストリア」は一方的に攻撃を受け殆ど有効な反撃の出来ぬまま航行不能に陥り、翌朝転覆沈没した。「アストリア」に対して有効な打撃を与えたと判断した「鳥海」は2番艦米重巡「クインシー」に対して砲撃を開始する。3斉射目で「クインシー」は艦中央部の艦載機に直撃弾を受けこれが炎上。格好の標的となった。多数の命中弾を浴び、炎上していたところに先の南方部隊との戦闘で分離した「古鷹」以下3隻が左舷方向から突入してきた。「古鷹」隊は「鳥海」が照射した敵艦隊を認めて突入して来たのである。北方部隊は右舷側から「鳥海」隊に、左舷側から「古鷹」隊に挟撃される形となってしまった。「古鷹」隊は火災を起こしていた「アストリア」に対して砲撃を浴びせると「クインシー」に対して砲雷撃を開始。この放った魚雷が「クインシー」左舷に命中。「クインシー」は被弾しつつも「鳥海」目掛けて砲撃をしながら突撃したが、集中する砲弾のためにたちまち戦闘不能に陥り、翌9日0035、左に転覆、沈没した。残った一番艦「ヴィンセンス」も反撃態勢を取る間もなく、日本軍の砲撃を浴び艦載機が炎上。これが好目標となり集中砲火を浴びたため面舵反転離脱を図るべく転舵した直後、「鳥海」隊から発射された魚雷が3本左舷に立て続けに命中、さらに「夕張」が発射した魚雷のうち1本が命中し翌9日0003、航行不能に陥った。この後も更に砲撃を浴びて0050、転覆沈没した。日本軍ではこの間に重巡「衣笠」がツラギ港外の輸送船団目掛けて長距離調定した魚雷4本を発射したがこれは命中しなかった。また、北方部隊随伴の「ヘルム」「ウィルソン」はいち早く南方部隊の応援に駆けつけるべく航行していた所、日本艦隊と高速ですれ違った。あわてて反転してこれを追うも間に合わず、両艦とも無傷であったものの戦闘に殆ど参加できなかった。
9日0023、三川長官は戦闘終了と判断、「全軍引け」の命令を下す。バラバラになっていた各艦は単縦陣を作り直しで30ノットで高速避退に移るべくサボ島北方の集結地点に移動し始めた。軽巡「夕張」も集結すべく航行していたが、そこへ哨戒隊の一艦、米駆逐艦「ラルフ・タルボット」がひょっこり現れた。「夕張」は直ちに「ラルフ・タルボット」に対して砲撃を開始。突然砲撃を受け、全く情況の飲み込めない「ラルフ・タルボット」は味方識別灯を点灯して合図するとともに無線電話で「貴艦は味方に発砲中なり、砲撃を中止せよ」と連呼したが、これを見た「夕張」艦長 阪匡身大佐は敵艦が誤認していると判断、猛撃を加えたのである。「ラルフ・タルボット」は立て続けに命中弾を浴びて戦闘不能に陥ったが、幸運なことにスコールに包まれたため、離脱することが出来た。
艦隊反転せず
海戦は日本軍の大勝利に終わり初期に離脱した「夕凪」も含めてサボ島北方で集結した第八艦隊では、一つの議論が「鳥海」の艦隊司令部で起きていた。現在までガダルカナル失陥の最大原因とも言われる第八艦隊再突入問題である。大きく分けて意見は二つあり、「艦隊はほぼ無傷であり、直ちに反転して連合軍輸送船団攻撃に向かうべし」、という泊地再突入論と「上空援護がない限り、艦上機の攻撃を受ける愚を犯すべきではない」という早期撤退論であった。「鳥海」艦長早川幹夫大佐が、「眼前の大輸送船団を放置して帰れば、飛行基地は敵の手に陥って、大変なことになる。司令部は旗艦を他に移して帰れ。鳥海一艦で敵輸送船団を撃滅する」と、特に前者を強く主張したが、大西新蔵参謀長と神重徳先任参謀が後者を進言し、結局後者を三川長官が容れて帰投命令を発した。
「加古」撃沈
第八艦隊はソロモン中央水道を30ノットの高速で避退し、夜明けまでに無事攻撃圏外に達した。9日0800、三川長官は同隊の解列を命じ、第六戦隊の重巡4隻はニューアイルランド島西端のカビエンへ、「夕張」と「夕凪」はショートランド泊地へ、そして「鳥海」「天龍」はラバウル泊地へ各々分離して向かった。10日朝、第六戦隊はカビエンまで残り100浬のニューアイルランド島北方海域を航行していた。上空には対潜哨戒機が1機前路警戒についており、既に味方の制空圏内でもあった。
16ノットで航行していた重巡「加古」の見張り員が「右舷に魚雷!近いっ!」と絶叫した時にはもう遅かった。「加古」の艦首、艦中央部、艦尾に1本ずつ、計3本被雷した「加古」は僅か5分で沈没した。艦長 高橋雄次大佐の対処が素早かったために犠牲者は67名で済んだが、一瞬の気の緩みを衝かれた損害であった。「加古」を雷撃したのは米潜水艦「S44(SS-155)」で距離650mから魚雷4本を発射し
結果と影響
炎上するキャンベラの救出、護衛をするブルー、パターソン本海戦では日本海軍が一方的な勝利を収め、その夜戦能力の高さを示した。しかし、本来の主目的であったはずの上陸船団への攻撃は行われなかったため、まだ揚陸されていなかった重装備などは無傷であった。日本軍が大戦果に沸き返っている頃、米軍は、膨大な軍需品のガダルカナル揚陸に成功し、飛行場および橋頭堡が強化された。まもなく敵飛行部隊が進出。米軍は、この基地をカクタス基地、飛行場はヘンダーソン飛行場と名づけた。日本軍のガダルカナル作戦失敗の最大原因である。こういった見地から、この海戦は日本側の戦術的勝利、戦略的敗北となり、後の一連のソロモンの戦い(第二次ソロモン海戦、第三次ソロモン海戦)に大きな影響を与えることとなる。急遽ガダルカナル奪回作戦に当てられた陸軍第17軍参謀長二見秋三郎少将は、「みかんを取りにいって、実を残して皮だけ取って帰ったか」と嘆いた。
この、今後のガダルカナル島での戦いの帰趨を変える可能性のあった船団への攻撃が行われなかった理由は、アメリカ空母部隊による航空攻撃への恐れより、早期退避の必要があったという有力な見方がある。また、当時の永野修身軍令部総長が第八艦隊司令長官三川中将に対して「日本は工業力が少ないから艦を毀(こわ)さないようにして貰いたい」という注意を与えていたことが早期退避の決定に影響を与えたという説もある。艦隊参謀であった大前敏一氏の戦後の証言によると「米空母部隊の無線交信が「鳥海」でも盛んに聞こえていたことが敵空母が近距離に存在していると判断する材料になり、早期撤退の結論に達した」ということであるが、敵機動部隊は南方洋上遠くにあり、戦闘圏内にはいなかった。
また、この海戦勝利の影で夜戦での探照灯による照射砲撃が持つ危険性(照射艦が敵艦隊から集中砲撃を浴びる)というものが戦訓として考慮されなかった。重巡「鳥海」は小破で済んではいるが、20センチ砲弾6発、12.7センチ砲弾4発を被弾しており、この頃の連合軍の砲弾の信管が粗悪で正常作動しなかったことと、鳥海の主砲塔が無装甲であったことでたまたま命中した砲弾が全て盲弾となって艦上で爆発せず、損傷が軽微で済んだだけの話であり、第3砲塔を貫通、砲員を全滅させた砲弾がもし炸裂していたら艦橋にいた司令部などは無事ではすまなかったであろうし、最悪の場合爆沈もありえた。もし作戦室を貫通した砲弾が炸裂していたら壁一枚隔てて艦橋内にいた司令部メンバーはほぼ全員戦死していたであろうといわれている。実際、これらの盲弾の命中だけで、艦は小破で済んでいるにもかかわらず鳥海だけで戦死34名、重軽傷48名という人的損害を出している。
この海戦での鳥海の損傷が味方の大勝に隠れて軽視され、また連合軍の弾薬が粗悪なのを連合軍に気づかせぬ為にこの損傷結果を三川長官が緘口令を敷いて極秘にした結果が、第3次ソロモン海海戦での戦艦「比叡」「霧島」喪失に結びつくこととなった。 とはいえ、連合軍側でも弾薬の問題は気付いており、米重巡「シカゴ」が戦闘時に発射した照明弾は44発発射して僅か6発しか炸裂せず、また8日の航空攻撃で損傷、放棄された輸送船「ジョージ・F・エリオット」を処分するために米駆逐艦から発射された魚雷4本は全弾命中したにもかかわらず、炸裂したのは僅か一発であった。この弾薬問題はこの後も暫く米軍を悩ませるが、根本的な対策を取ったため一年もするとこの問題を解決して以後問題は起きなくなったという。
日本軍ではミッドウェーの大敗北で士気が下がっていたところにこの大勝利があり大いに士気が上がったという。この作戦立案をした神重徳大佐は「作戦の神様」として祭り上げられることとなり、後々の彼の立てた無謀な作戦も比較的容易に採用されるようになる。
一方で米軍はこの敗北に対してヘプバーン委員会として知られる米海軍の本海戦に関する公式の調査委員会が組織され、引き続いて海戦に関する報告書を作成した。委員会は1942年12月以降海戦に関わった殆どの連合軍将校から数ヶ月かけて事情聴取を行った。委員会は、唯一シカゴのボード艦長のみ懲戒処分にあたると勧告した。報告は他の連合軍将校達、すなわちフレッチャー、ターナー、マッケーン、クラッチレーの各提督とリーフコール艦長については処分を求めなかった。ターナー、クラッチレー、マッケーンの各提督の以後の経歴は本海戦の敗北や、その中での失策によって影響されなかった。しかしながらリーフコールは二度と艦長になることはなかった。ボードは、委員会の報告がとりわけ彼に対して批判的であると知ると、1943年4月19日にパナマ運河地帯にある基地で自殺を図り、翌日死亡した。
戦術的に完敗した米軍は苦渋に満ちており、戦後、太平洋戦史を纏めたS.E.モリソンは以下のようにこの海戦を纏めている
“ これこそ、アメリカ海軍がかつて被った最悪の敗北のひとつである。連合軍にとってガダルカナル上陸の美酒は一夜にして敗北の苦杯へと変わった。 ”
? S.E. モリソン, アメリカ海軍作戦史
損害
日本
沈没喪失
重巡:加古
小破
重巡:鳥海
連合軍
沈没喪失
重巡:キャンベラ(自沈処分)、ヴィンセンス、クインシー、アストリア
大破
重巡:シカゴ
駆逐艦:ラルフ・タルボット
中破
駆逐艦:パターソン