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東ローマ帝国は

東ローマ帝国は、現代では「ビザンツ帝国」「ビザンティン帝国」などのように呼ばれるが、これらはあくまでも古代との相違点を示すための後世に付けられた便宜的な呼称に過ぎない。正式な国号は古代以来の「ローマ帝国」であり、第4回十字軍の攻撃を受けた1204年まで、ギリシャ人を主役としながらもスラヴ人・アルメニア人などの民族を支配し、正教会を国教とする国家であった(800年のカール大帝の戴冠までは西欧諸国も名目上ながら宗主権下に置いていた。また、1204年以降、滅亡する1453年までは、ギリシャ人のみの小国へ転落)。古代ローマ帝国の継承者としてローマ法や古代末期の体制、そして古代ギリシャ・ローマ文化を基礎としながらも、東西の文化をギリシャ語・正教会・ローマ法で纏め上げて融合させ、古代のローマ帝国とは異なる独自の文明を形成した国家であったといえるだろう。
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この国家では皇帝は「元老院と市民、軍隊の推戴を受ける」ことが正統性の証である、という古代ローマ以来の概念と、皇帝は「神の代理人」「全世界の主」「諸王の王」である「アウトクラトール(専制君主)」として統治する、という東方的な考え方が融合した体制を取っていた。これは前述の古代ローマ帝国後期の体制が、4世紀から8世紀までの約400年近くに亘って緩やかに変化しながら作られた体制であり、いつまでが古代ローマ帝国で、いつからがいわゆる「ビザンツ帝国」「ビザンティン帝国」であると明確に決めることは出来ない。

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2009年07月12日 21:27に投稿されたエントリーのページです。

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